認知症介護、それ以外でも介護というのは日々大変なことだらけだと思います。
その大変さの中には、自分との心と付き合っていかなければいけない、自分の心の軸を決めておかないとより辛くなるなと日々感じます。
母の介護をする上で、わたしが決めた心の持ち用の話をしたいと思います。
もくじ
最近の母の様子
認知症は、近い記憶から忘れることが多くなっていく病気。
認知症をあまりよく知らない方は、「歳いったらちょっと忘れてしまうことなんてよくあるよ。」なんて言ってくださる方もいらっしゃいますが、私はやっぱり認知症と記憶の衰えは少し違うのではないかと思っています。
最近の母は、とうとう私がたまにわからなくなって、母の知っている兄妹か誰かと勘違いしているな・・・と思うことがあります。
その時ははっきり、「誰のこと言ってるの?私誰だかってる?」って聞くと、ハタと記憶の線が繋がるのか、ああ~〇〇でしょう。」とあたかもわかってたよ、的なことは言うのですが、やっぱりたまに忘れてしまいます。
母は今30~40代くらいなのか、祖父母と同居していた頃の記憶のようです。
なので、当時私がまだ生まれたてだった家族構成になっていて、今私の家族は5人くらい家に住んでいる感じです。
妄想のようですが、ただ、過去に記憶が行っていて現代を生きていると言う感じで、母的には全然おかしなことではないんですよね。
デタラメを言っているかというと全部がそうではなく、もし生きていたらそういう話になるだろうな、というようなことです。
母の妄想にどこまで付き合うか
認知症の方には、あまり否定はせずに話をある程度付き合って合わせてあげるのがいいと言います。
皆さんはできてますか?私はきっと半分くらいです。
あまりに、それはないだろ!?ってことを言うと否定してしまうこともあります。
受け入れていることには、現在2人で母と暮らしているのですが、たまに家族が増えて一緒に住んでいる話にはのることにしています。
どこまで先祖が出てくるのか!?すでに母の母まで出ているので、それ以上はきっと出てこないだろうなと思ってます。
切ない気持ちは続く認知症介護
認知症という病気がわかっていても、やはり育ててくれた親が自分のことを認識できない時があるとわかった時はやはり辛いものです。
その気持ちを完全に消化したしたわけではあませんが、たとえ忘れたとしても決して他人だと思っていないこと、一緒にいて不安ではない誰かと住んでいると母が思ってくれていると思うようにしています。
でも、やっぱりまだ完全に忘れる早いので、自分の名前をたまには訂正していきたいと思います。
母の認知症から見えてくるもの
認知症の介護をしていると、心が疲弊する場面は多々あります。わたしは一人介護なので、誰かそれを共有することもあまりありません。
きっと、聞いた人は聞いているのは辛いし、どうしても愚痴になるからです。
抱え込まないために、あまり自分の気持ちを抑えすぎないということも母の介護で思ったこと。
たまには息抜きや、気晴らしをする方がいいと言われてもやっぱり母の一人での様子は気になるもの。
母の行動を通して、カチンとくることや、悲しくなること、自分の感情があらわになることが多く、それは自分で自分の感情を抑えておいた部分でもあるんだなと思うのです。
だから、母の介護を通してこういうことが自分は嫌なんだ、悲しいんだ、嬉しいんだと向き合うことにもなっているなと感じます。
そんな、自分自身の感情と向き合いながら介護を通して本当の自分と出会うことができたらなと思っています。