認知症とガンとのダブルパンチ!だけど今は元気です

物事が重なるときはどうしてこんなに?と思うほど重なるもので、母の認知症がわかった3か月後、今度は母ガンが見つかりました。

人よっては本当に最悪だ・・・と思うかと思います。私もやっていけるのかな?と一瞬母の死を考えたものです。

でも、人の生命力ってすごいですね。たとえガンでも、ちゃんと生きる力があるんだと実感した母の闘病生活を今日はお話させてもらいます。

ガンが治らない場合もあります、母は本当にラッキーだった。同じように闘病をされている方の少しでも励みになればと思います。

母にガンが見つかる~ラッキーの積み重ね~

 母の認知症がわかって、ドネペジルという薬を飲んでひとまず様子を見ることになって3か月が経ったころ、市から無料で受けられる定期検診を母が受診しました。

近くのクリニックでしたが、胃腸科のクリニックだったので胃の検査もできるということで、最近検査をしてなかった母も年齢的にもこまめな健康診断は重要だと思い、その時は検査をしてもらったのです。

検査結果を聞きにいくと、胃の下部が全体に広くただれているということで、先生も少し気になるので病理組織検査に出しすことに。

結果は特に異常なし、その先生意外にももう一人先生に判断してもらいましたが大丈夫という判断だったのです。

ただ、そのクリニックのO先生がやっぱり少し気になるということで、安心のために大きな病院で再度より詳しく調べられる機器を使って検査をしたほうが良いと判断され紹介状を書いてくださりました。

母も80歳間近、今まで大きな病気も全くなく、この年で薬も何も飲まない生活をしていたので安心のために再度受信することに。

すると、見事胃がんという診断に。ステージ2、見つかるのが早かったので早期治療を行い、ただ範囲が広いため胃の下部を半分切除することになりました。

手術の説明を受けるとき、麻酔の先生が腕の良い先生にあたって早く見つかって良かったねと言ってくださったとき、母は胃ガンでも助かるんだ、とほっとしたのを覚えています。

認知症とガンでのダブルの闘病生活

1−1 病気がわからないはいいことなのかそれとも・・・

ガンが発覚し、手術を行うことになりました。ただ、母は認知症、どうしてもガンというのが自分でも理解できないことと、理解しているけど受け入れたくない、そして忘れてしまうというなんとも複雑な状況の中入院、手術となりました。

 何度も説明しても忘れるのですぐ聞く、聞いても忘れるので、一苦労。

どうして手術するの?と何度も聞くけど、最終理解していたのかどうなのかそのまま手術の日を迎えて、6時間の大手術となりました。

家族もわたし一人なので、付き添えるのはわたし一人で大丈夫だとわかっていても何度も嫌な予感がよぎってしまいました。

だけど、集中治療室に呼ばれて無事終わったと聞いて先生の顔をみた時、心底ほっとしたものです。

呼吸器マスクをしながら寝ている母を、本当に歳をとったな、いつまでも若い時の母ではないんだなと胸がなんとも言えない思いで締めつけられる感覚があったのを思い出します。

 ほっと一安心したのも束の間、次の日当時転職活動中で訓練学校に行っていたわたしの携帯がなりました。

 病院からだ・・・嫌な汗が流れます

電話に出ると、お腹に刺した管の横から出血があり再度手術をしますので、同意をお願いしますというのです。

同意も何も、もちろんお願いします!と言いそのまま病院に駆けつけ血だらけのパジャマを渡された時には、またもや血の気が引きました。

 どうやら、お腹に血が溜まっていてそれが管を伝って漏れたとのこと。理解しがだい内容ですでしたが、何もできない私は先生を信じることしかできません。

2回目の緊急手術が終わり、目を覚ました母はせんも状態からかずっと手術前も外に出されてベットで寝ていたと言いました。

そんなことあり得ませんが、きっといろんなことが混ざってしまってたんですね。

その後、しばらく落ち着くまで入院をし結局1か月半の入院となりました。

認知症を持ったまま、この時期に入院したことで、話す機会もめっきり減り残念ながら認知症がかなりここで進んだと思われます。

1−2 自分が落ち着くところで闘病生活をする

 胃の手術をして、食べたものをすぐに吐いてしまう、ほとんど食べれないということの繰り返し、だけど自分が手術をしたのをあまり覚えてないので普通に食べて吐いてしまう。

 この時期は見ていて本当に辛そうで、かわいそうでした。

胃の手術は成功したものの、胃に続く食道が治るにつれて縮まっていくということが起こり、より食べれないということが発覚して、食道狭窄によるバルーン拡張術も2年で6回ほど行いました。

徐々に広がり、やっと2年たって落ち着いて固いもの、粘り気があるものは苦手なもののちゃんと胃にも収まるようになって今に至ります。

 病院も今はあまり長く入院はさせてもらえないですが、母が入院していたことはまだコロナ前で面会もでき、少しでも話し相手ができたのは良かったです。

認知症は、じっとりたり、刺激がないとますますその機能が下がっていきます。

家での闘病生活は、いろいろ介護する側も大変でしたが、朝起きてテレビを見て、用意した朝食をテレビの定位置に持っていって食べるということのちょっとした動作はあります。

たまに庭に出て枯れた葉っぱや枝を集めています。

病院は安心ですが、看護師さんも忙しく細かなところまでどうしても一人一人行き届かない場合もあるので、家に帰り、栄養満点とは行かなくても一緒にとれる時は食事をとる生活をしていくことで顔色も良くなっていきました。

食べることは何より元気の源

入院中出される食事でよくあるのが、ゼリー状のものでハイカロリーなもの。

  • アイソカルゼリーとメイバランス、エンシュアは術後勧められて試してみましたが、母はどれも苦手でした。
  • アイソカルゼリー→8種類ほどの味があり、フルーツ味は比較的食べてくれました。
  • メイバランス→1回飲んだくらいで終了。もともとジュースなどをあまりの飲まないので味つきのジュースのようなものが苦手というのがありました。
  • エンシュア→飲んだらすぐに下痢してしまう・・・家でのトイレが間に合わない時の片付けが大変ですぐ終了。

まだ食事があまり取れない時、ヨーグルト、バナナ、ゆで卵、食パン、菓子パンはよく食べて

それで生活していたようなものです。

煮物もよく作りました。噛んですぐ崩れるものが良かったようです。

逆に、お肉の塊、お刺身は今でも喉につまりやすく苦手なようです。

歳をとったからか、好き嫌いもあり、好きなものはよく食べる、認知症なので食べたことを忘れてまた食べてしまう、満腹感もあまり感じられないのかちょっとこちらが怖くなるほど食べることもありました。

でも、顔色がよくなり、検査結果の数値もよくなることで、80歳生きた母にはまだ長生きはしてほしいけれども、身体のためと、無理矢理あまり好きではないものを食べさせることはやめました。

美味しいと思えるものを食べてもらう方がいいのかと思って、あまり栄養を細かく考えすぎないようにしたことで私も気が楽になりました。

この時、本当に食べることは生きることだと実感しました。

だからこそ、1日1日その日を大事に生きていきたいですね。

今日は長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。

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