認知症かなという疑いがあっても、まだしっかりしていることがほとんど。その親を認知症の検査をしてもらうために病院へ連れていくのは、骨の折れる作業だということもよく耳にします。
認知症かもしれないと確信が出てきた出来事を経験して、母に認知症の検査を受けてもらうまでにわたしがしたことをお話しさせていただきます。
もくじ
病気だからという前提で話さない
親がおかしな言動や、話が噛み合わないということを感じられたら、病院に行って検査をすることをオススメします。
正直、自分の親が!?と納得したくない部分も大きく、様子を見ようと先延ばしにすることもあると思いますが、私が体験した経験からですと
”受けてみて何もなければホッ!何かあれば早く対応できるのでよかった”です。
後から振り返ると冷静ですが、1年半ほど前はわたしもかなり動揺していたと思います。
でも他に誰も頼ることができない状況で、まずはわたしが動くしかなかったのです。
病院を行くことをとても抵抗する方もいると聞いておりましたが、母も最初は「なんで行かなあかんの!」と少し抵抗したものの、一緒に行くからというわたしの言葉で行ってくれることとなりました。
その時に注意したことは
・おかしいから検査行こう×→何もないか検査して安心しに行こう◯
ちょっとした言い方ですが、どこか悪いというのを前提にしないことで母も受け入れてくれたのではないかと思います。
それでも、「そんなの必要ない!」という軽い抵抗はありました。
認知症を専門にしているところはそれほどなく、比較的近くにあった病院へ行くことにしました。
寄り添う気持ち
あとから本をいろいろ読むことで知ることになるのですが、認知症というのは本人は何もわかってないと思いがちですが、細かくは理解できていなくても、大きな枠の中でボヤ~と何か自分は今までと違うな・・・ということは理解しているそうです。
認知症だというと、何もかもすぐにわからなくなると思われがちですが、そうではないんですよね。
人にもよりますが、あくまで徐々に(急激に認知機能が落ちることもあるそうですが)これもまた同じ人はいないように、症状もさまざまだと言います。
できていた事ができなくなる、思わず「何やってるの!」なんて親子だと特に言ってしまいそうですが、母も不安なんだということを何度も自分に言い聞かせて、できるだけ寄り添う気持ちで接するようにしました。
そして、脳の検査と長谷川式認知スケールを行いました。
母はまだこの時点では、計算をすることは得意、見たものをすぐに忘れてしまうというのが弱いことが見ていてもわかりました。
当時母は78歳、少しくらいは年齢も年齢なので記憶力が落ちていることもあるだろうという気持ちでしたが、数分前の事をすっかり忘れている近似記憶が弱くなる、アルツハイマー認知症特有の症状の一つだったですね。
検査結果は、やはりアルツハイマー認知症。
でも、まだ初期の方だというお医者様のお話でちょっと安心したのですが、この後認知症を進める出来事が起こってしまいます。
それは、また別の回で・・・
受け入れる、すぐにじゃなくていいから
認知症だと診断されて納得したものの、正直自分の親が・・・
驚きを通り越して、ガックリという感じです。どうして?何が原因?なんて考えもしましたが認知症については食生活も影響あるものの、これといった原因はわからないということ。
そして、薬はあるけど完治するものではなくあくまで認知機能の低下を緩やかにするというもの。
それって、なかなか難病の1つでは?なんて思ったものです。
本当に治す方法はないのか?とネットで調べたりもしましたが、特効薬的な薬もまだ開発されてないとのこと。
医療には全く詳しくないですが、脳の一部がほんの少しでも破壊されてしまうと修復するのはきっと難しいことなんだと思わざるを得ないですよね。
2年経って、完全に受け入れたかというといまだにそうではありません。
何か方法があるのでは?なんて思ったりもしますが、きっとそんな良い治療法や方法があればすでに話題になっているはずです。
だから、母の認知症とともに自分のできるだけの工夫で、母が通常の生活に近い生活を送れるようにサポートするということになりました。
ことばでは、きれいな表現ですがサポートは決して楽な道ではないですよね。
きっと介護をされている方は十分肌で感じていると思います。
ただ、サポートするだけではなく自分の心との葛藤も起こることを、介護をしていく中でひしひし感じていくのです。
介護は急に起こることもありますが、その時は動くしかない!で動いていて本当の自分の気持ちと折り合いをつけていくのはきっとゆっくり、ゆっくり日々の介護を通してだと思います。
ゆったり、抜ける力は抜いて、日々介護に向かっていくしかないんですよね。